1236 伏見寺田屋へ
| 陸上交通が発達するまでは、人と物資を運ぶのは舟。大阪は、船運によって運ばれてくる日本各地の物産の集散地。『天下の貨七分は浪花にあり、浪花の貨七分は舟中にあり』と栄えた水の都でありました。そして、各地の物産と人は淀川を遡って京都へと、そして、京の文化は淀川を下って、日本各地へと運ばれいったのでありました。 川を上り下りする川舟、淀舟(30石舟)は、大阪天満の八軒家と京都伏見の京橋を結んでいたのでありました。(昭和の時代まで石炭船が伏見まで通ったということです)。そして、川船の発着地伏見は京都の南の入り口として栄えた町。6軒の大きな舟宿があって、その一軒が幕末の頃の事件の舞台となった寺田屋でありました。 幕末の頃も、情報と人を運ぶ最も早い手段は舟。戦いの必須の条件でもあります。京都の異変の知らせは伏見を下って大阪へ、瀬戸内海を山口へと。山口からは兵士を積んだ舟がすぐに京都へ。その頃江戸への知らせはまだ東海道の途中。幕末は舟と徒歩との闘いでもありました。 文久2年初夏、寺田屋に集まった薩摩急進派を藩主久光は『討て』と命令し、薩摩藩士同志の悲惨な闘いが。その事件のすぐあとに、龍馬は定宿にしていた寺田屋へ来ています。
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| 「あっ、お客さま今日は休みでござりまするが」 「そうらしいなあ」 竜馬はニコニコしながらもう土間に入り込み、かまちを上がって、どんどん奥へ歩いていった。 女将のお登勢が、ふとのれんをあげて。「まあ、坂本さま」と、奥の間へ通っていく竜馬の背を見ておどろいた。「坂本さまではありませんか」 竜馬はふりむいた。 「いったい、どうなさっていたのです。風のたよりにうかがうと脱藩なされたそうでございますな」 その夜、竜馬は寺田屋に泊まり・・・・・・・・・・
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| 咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る 竜馬は、さらに一曲 何をくよくよ川端柳 |

| 未だ行ったことがない。山口への帰り途、新幹線途中下車、伏見の寺田屋へ行ってみました。 京都駅から京阪電車に乗って、伏見桃山駅で降りて、大手筋商店街通りを歩きます。 |

こんな商店街でも菓子屋は立派〜(喫茶店も)。さすが見栄には気を配る京都です。

佃煮屋さんも目立つなぁ。京都はロクな食い物ないから。
ハモなんが我が故郷ではダシにしかせんのに・・・

魚屋さんのシジミの横に・・・・ドジョウがっ!まだ、こんなもん売っとるか。さすが京都です。

5分ほど歩いて、大手筋通りが終わる直前に、南へ曲がると、
路地のような細い道が続きます。寺田屋までもう2分です
しかし、伏見の街並みは江戸室町より古いままか もです。
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路地のような道の両側にも店があって。 おっ!美味そうなバッテラ。 そういえば京都への物流のもう一つの道は北国への道。 越前福井に集まった北国日本海の物産は琵琶湖を越えて、京都へ。鯖の道です。 |
伏見桃山駅を出て10分足らずで寺田屋に着きました
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慶應2年1月22日薩長連合を成し遂げた竜馬は、24日には寺田屋に戻り、長州藩の三吉慎蔵とともに宿泊、
| おりょうは、素裸になった。 小柄だが、色が白く、肉付きもしまって、敏捷な森の動物のような体をもっている。 湯殿は宿のそれだからふつうの家庭のものよりも三倍ほど広い。 奇妙なことに気づいた。 湯気が流れているのである。 「なんだ。・・・・」 と、おりょうはわれながら、自分のうかつさがおかしくなった。 窓があいている。窓は裏通りに面している。 おりょうは手をのばしてそれを閉めようとして、あっと声をのんだ。 裏通りに、びっしり人が並んでおり。提灯が動いている。 「捕方。・・・・」 と、思ったとたん、おりょうはそのままの姿で湯殿をとびだした。 自分が裸でいる、などは考えもしなかった。 裏階段から夢中で二階へあがり、奥の一室にとびこむや、 「坂本様、三吉様、捕り方でございます」 と、小さく、しかし鋭く叫んだ。 竜馬はその言葉よりも、むしろおりょうの裸に驚いた。 「おりょうなにか着けろ」 と言いすて、三吉慎蔵をふりかえった。
寺田屋一件の変報を受けたとき、西郷はこの朝いつもより遅く起き、このとき井戸端で顔をあらっている最中だった。中村半次郎が駆けよってきてわめいていた。 その騒ぎの最中に第二報が入って、竜馬と三吉慎蔵が、それぞれ傷を負いながらも無事薩摩藩邸に入った、ということがわかった。 西郷はほっと大溜息をつき、こんどはいつものこの男の表情にもどって指示をはじめた。 |

| 寺田屋の前の道を渡るとすぐ下に堀川が。伏見は酒所。月桂冠の木造の酒蔵が今も川沿いに長く続いています。ここが大阪からの淀船の終点、港です。舟を降りた竜馬は岸をあがって寺田屋へ・・・・ ここが、幕末のさまざまなドラマがあったその場所か〜!と感激しながら食べたバッテラ525円が非常に美味かったことを報告して、伏見寺田屋探検の報告を終わります。 |