1492 カンボジアの旅(18)プノン・ボック

タ・プロ−ムから東へ6キロくらい、バンテアイ・スレイへ行く途中の道で  『アベさんあそこですよ』 とビチェットさんが車を停めてくれました。

ビチェットさん

149202.jpg (18772 バイト) これが5日間つき合ってくれた、通訳のビチェットさん、なかなか美男子です。問わず語りの会話で分かった、ビチェットさんの紹介をしてみましょう。

政治家だったご両親は内戦の時に殺され、二人のお姉さんビチェットさんの3人は生き延びだそうです。
その頃の状況は『キリング・フィ−ルド』で想像できますが、あまりにも悲惨。私はこの映画を最後まで見ることができませんでした。

3人ともまだ幼く、相当苦労したそうですが、現在二人のお姉さんは結婚して家庭もち。ビチェットさん34歳は、独身、花嫁募集中です。

ビチェットさんは苦学して、90年代アンコ−ルワット観光が何とか始まった頃にガイドに。最初の頃はちょっと遠方のバンテアイ・スレイ辺りでは武装強盗団も出没し、危ない観光だったそうです(2003年ころまでは護衛の警官が同行することも)。

その後、日本のA新聞社の現地社員も経験しキャリもアップ、現在はプノンペンに本社がある旅行社で働いています。

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英語もこなし、日本語は日本人以上に読み書き話し、また、非常に頭脳明晰で、相当な高級ガイドのようで、お金も貯まったらしく 『シェムリアップに土地買ってあるんですよ』 『次は嫁じゃね』 『は〜姉もそれを煩く言うんですが・・・』

ビチェットさんの口癖は 『アベさん荒れ地が多いでしょ! ほらここも何も植えてない 植えたいな〜 』 です。確かに。水と太陽に恵まれたカンボジアですが、排水設備や灌漑の整備がなく、びちょびちょ湿地や乾燥地か多く・・土地は広いのに 『ほんと惜しいねぇ〜』

それから彼の夢は 『カンボジアの豊かな自然が紹介できるようなエコなホテルを建てる』 ことです。ええね アイデアなら貸すよ! お客も紹介して下さいね。

日本に帰ってからビチェットさんにお礼のメ−ルを出しました。が、彼を紹介してくれたSさんに 『何でも食いつくアベさんと一緒に旅できて面白かった』と便りがあったそうで・・・嬉しいことです。

 

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『アベさんあそこですよ』 とビチェットさんが教えてくれたのは 遠くに見える小さな山です

 

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プノン・ボック

プノン・ボック(ボック山)。70年代の戦乱のインドシナ半島を駆けめぐりカンボジア内戦を取材中に行方不明になった日本人カメラマン、一ノ瀬泰造の遺体が発見された場所です。

あちこち撮りまくる私を見て、きっと知りたいだろうと察して、その場所を教えてくれたようです。ビチェットさんありがとう。あれがプノン・ボックか。

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付録:カメラ紹介

この際、私のカメラを紹介することにしました。中学2年のある日、普通のサラ−リマンだった父親が突然『カメラ買ってやろうかっ!』 と中古のマミヤのレンズシャッタ−式小型カメラを買ってくれました。大学2年まですりきれるほど使いました。

2台目はアサヒペンタックスSP。開放測光露出計つきカメラ時代幕開け期の、ニコンが買えない人が「せめて」と購入したベストセラ−機です。その頃は夜行列車に乗って、0泊2日の旅をよくしていました。長崎からの帰り、デッキに立っていたら、目の前の人が 『だいぶんそのカメラ疲れてるね 社員価格で売ってあげるからうちの店においで』。ということで、節約生活で貯めた奨学金でSPを購入。こいつもよく働いてくれました。

ニコンは「いつかも持ちたい」憧れていたカメラです。Fシリ−ズの価格はサラリ−マンの一月の給料分。就職してもそんな高価な品はかえるはずがありません。から、ボディは全て中古にして、ニコンを揃えていきました。

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75年製のF2フォトミック。最初に手に入れたF2です。ゴツゴツした不格好なスタイル、ボディは860g、レンズをつけると、やや重いのが、安定感抜群で。シャッタ−を押すときに手に伝わる快感。

視野率100%で、シャッタ−速度は1/1000秒と言ったらぴったし1/1000秒。必要以上に精密さを追求した結果、高価になっているのでした。耐久性抜群、全てに馬鹿馬鹿しいほどの完全を追求したマニュアル機の最高峰と思います。これしかないと惚れて、結局三台買いました。三台のうち一台は石の階段に落とし、壊しましたが、二台は今も出動可です。

この一番最初の一台は弟経由で 『梅沢俊』 さんに譲ってもらいました。梅沢俊さんは山や植物の写真家として有名です。例えば、もしあなたが「山と渓谷社」の図鑑を持っていたら最後のペ−ジを見てみましょう。名前が発見できるはずです。一度だけお会いしたことがあります。 レンズは主義として単体。ズ−ム・レンズは買いませんでした。

F2は違いが分かる男のカメラです。二台くらい下げていると「ひょっとしたら」と勘違いされ、「入場料はいりません」とか 「どこの社の者かっ!」と機動隊に掴まったり、外国では「お土産いかかですか」とか付きまとわれずにすんだり・・・と違いがあるカメラです。

149212.jpg (21243 バイト) 『フィルムカメラはもう買わないっ!』と決めていましたが、70年代カメラだけでは寂しすぎるのでその後一台だけ新品を買いました。(-_-)゜zzz・・・ 

重さ330g、手のひらに丁度収まる、ニコン初の全自動コンパクトカメラです。普通は19800円くらいですが、こいつは10万円。違いがありすぎて、売れなかったようです。

非常にバランスがよい写真が撮れます。

 

 

そして、こちらが時代に遅れないようと、買ったデジタルカメラです。

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これが最初に買ったデジカメ、ソニ−のS85です。デジタルカメラについては何も知識がありませんでしたが、「これだよ」 と向こうから呼びかけてきました。手のひらに収まって370g、構えてみるとフィルムカメラの感覚で違和感がありません。

なお、デジカメの欠点はシャッタ−ですね。電子制御なのでバグが出るし、耐久力に難あり。3台とも修理しました。このS85も修理しましたが 「塗装が剥げていますね。これほど使ったのも珍しいです」というメモとともに帰ってきました。写ってはいませんが上下の金属部分は塗装がはげ金属色してます。ニコンF2感覚の荒っぽい使い方をするせいです。(デジカメは頑丈性に劣るので優しく使ってやる必要がありますね)

ところで、当時、もうデジカメは19800円の時代でしたが、こいつは7万円。なんでやねん? ソニ−だから選んだ訳でなく、レンズが口径が大きなカール・ツァイスだったからです。一度でいいからライカのレンズを使いたいと思って買いました。ライカはカメラのもう一つの頂点ですからね。

S85は3倍ズ−ムの特にどうという性能ではありませんが、色バランスもよく(さすがソニ−)410万画素とは思えない描写力(さすがカール・ツァイス)、違いがある名機です。が、価格が高すぎ売れず、後継機はなく、生産中止に。あまりにも残念だったのでソニ−に電話して問い合わせてみると 、『そういう要望はよく頂いてます。が、売れないので・・・申し訳ございません』 という丁寧なお答えでした。

なお、カメラ画像は全て、このS85の最小サイズで撮り、HP用に縮小して載せています。が、このくらいには?写ります。カメラはやはりレンズです。画素数信仰者は多いようですが、カメラは光学機械ですから、レンズが命。

S85はズ−ム値が小さく、フォ−カス性能にもやや難があるので(初期のカメラだから)、その後仕方なく、H5を買いました。29800円級ですが、やはり口径が大きなカール・ツァイスのレンズが付いていて、解像度、描写力も素晴らしく問題がありません。安くても口径があるレンズがついてる方が勝ちです。

しかし、一眼レフも持ってなくてはという見栄で、α100のボディを買い、半年待って、やっと発売されたカール・ツァイスのレンズを買って(ボディと同じ値段でした)、デジカメ整備が完成しました。


ついでに、三脚も見ますか? 

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三脚を使わなくてよいよう発明されたのが一眼レフのような小型カメラです。そんなカメラに三脚を使うようでは・・・ほとんど使いませんがが、見栄で持っています。 三脚界ではブランド品と評判のイタリア製のジッツオ(Gitzo)です。色づかいと使い勝手の悪さが、いかにもイタリアらしい一品です。

ということで、私のカメラ箱はいつの間にか、ニコン、カール・ツァイス、ジッツオの日独伊三国同盟になっていました。