158 樹齢教の旅(9)ハゼの木は見ていた

秋吉台の近くの、山口県美東町絵堂の道ばたに大きなハゼノキが立っています。胸高直径は約90cm、樹高約12m。ハゼノキとしてはかなりの巨木で、幹には大きな穴もあいています。他の樹木と比べると大した大きさではないのですが、樹齢教にふさわしい歴史を感じさせる老樹です

 

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ハゼは鮮やかに紅葉して、秋を感じさせる木ですが、昔はロウソクの蝋(ロウ)を採る有用な樹木でした。ロウソクは江戸時代には大変高価な照明だったので、どの藩も、現金収入をもたらすロウの生産を奨励し、競ってハゼノキを植えたそうです。庶民は何倍も安いナタネ油の照明で、金持ちだけがロウソクを灯したようです。ハゼから採れる白色のロウは、米、塩、砂糖とともに、三白、四白とか呼ばれて、大切な物産でした。

    
★★日本には、ヤマハゼ と リュウキュウハゼの2種で、江戸時代に田畑の周りに植えられたのはロウの含量が多い、リュウキュウハゼでした。リュウキュウハゼは元々琉球にあるハゼで、薩摩を経由して本土に広がったので、サツマハゼ とも呼ばれたそうです。というわけで、今平地で見るほとんどのハゼ、そして、この銭屋のハゼもリュウキュウハゼです。
    
★★★さーて、山口県はずーっと昔は、文化や産業の先進地でした。例えば銅の採掘と精錬。
このハゼがある銭屋のすぐ近くには、明治のはじめ頃まで長登(ながのぼり)銅山がありました。大変古い銅山です。大和朝廷時代には銅は国の根幹を支える重要な産物で、銅を征するものは国を征するということで、長登りには朝廷から非常に多くの役人が派遣され、銅の生産を管理していました。この時代の都市としては太宰府が有名ですが、長登はそれに勝るとも劣ることのない重要な地方都市でした(最近知った、受け売りです)。
東大寺の大仏も長登の銅で造られています!!!


他にもあります。酒造りの杜氏(とうじ)は何となく東日本のイメージですが、杜氏の故郷は、山口県の油谷(ゆや)や日置(へき)で、ここから日本各地に出かけて、酒造りを広めたと言われています。
銅の採掘や精錬、酒造り、のような先進の文化や技術は大陸から伝わったので、朝鮮半島に最も近い山口に最初に上陸し、定着したの
で、ハイテク山口というわけです

★★★★さていよいよ本題に。
江戸時代のはじめには、銭屋に長登の銅から銅銭をつくる鋳銭所がありました。幕府の依頼によって銅銭が鋳造されていました。が、必要以上に鋳造していること
(=密造)が発覚。こういうことには抜け目がない長州藩が知らないはずはありません。おそらくは官民結託しての偽金造り間違いなしですが。とにかく長州藩は鋳造所を急襲し、銭屋を全て焼き払いました。そして、残ったのはこのハゼノキだけであったと言われています。このハゼノキは全てを見ていたのでしょうか! となると樹齢は400年以上に。しかし、リュウキュウハゼが広まったのは吉宗の時代です。銭屋が焼き払われたのはもっと前で、まだこのリュウキュウハゼは植えられてなかったかもしれません。


幕末には高杉晋作が率いる騎兵隊が美東町の絵堂一帯で、長州藩の正規軍と戦い、勝利をおさめます。維新への歴史的な出来事で、この銭屋でも銃撃戦があったかもしれません。

この木の下で実際にどんな出来事があったのかは確かではないのですが、そんな事を考えながら、見上げると、何かしら樹霊が感じられる、毎年11月始めには鮮やかに紅葉する老齢の銭屋のハゼノキです。

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