1707 ちょっとカンボジアの旅(13)チィ一家のご紹介
| ネアックル−・チィ(チィ先生 ネアックル=先生)、田中千草さん、は街では相当の有名人で、お土産屋さんで「ネアックル−・チィから聞いてきた」と言うと現地価格になります。何で有名? それは彼女がカンボジアの子供達のために頑張っていて、街の人がそれを知っているからです。 『私、子供が4人なんです〜』 あれ〜っ? 独身じゃなかった〜 経済発展著しく、ラオスの五倍は著しいカンボジアですが、お金持ちはごく一部。生活が苦しくて子供を学校にやれない家庭、子育て放棄・子棄て・・・・家庭で子供に暴力を振う(チィ先生はこれがすごく多いと嘆いていました)。で、学校に行けない子供が多いのです。で、せめて小学校にはと 『アナコット 里親会』 を作りました。一口19000円、で里親になれます。 ネアックル−は里親会のほか、帰る家がない子供を自分の家に引き取って一緒に暮らしています。で、4人の子持ち。4人の他にも、家庭で暴力を振るわれたり、親が急に蒸発したりで、行き場がない子の避難所にもなっています。家族の様子は彼女のブログで熱く読むことができます 『子育てってお金がかかりますね〜 お米があっという間に無くなるし・・・中学になるとまたお金がかかるし・・・』『アホか!自分も子供業してたんじゃから分かっていると思ったけど』『大変です (-_-)゜zzz・・・』『子育ては大変なんよ〜』 |

| 様子見やら、打ち合わせでホテルにも何度か来てくれました・・・お年玉のお礼(カンボジアのお正月は4月。子供達のお土産はお年玉にしました)を早く言おうと付いてきたお供の長女の マ−リッ と クゥ−。 マリッは賢く、優しく、落ち着いた性格で、多忙で留守がちの それいけ母さん を助けて家庭を守っています。 「家事は何でもやってくれます。マ−リッがいるからやっていけるんです。あべさんはマ−リッには前に会ってるはずですよ」と言われ |

| 3年前の2008年のワット・ボ−での写真を調べたら、写ってました。この時は6年生、今は中学2年生。頭もよく、ぜひ高校にも、大学にも行って・・・・日本も見せてやりたいマ−リッです。 |

| みんなにご馳走してあげよう。 じゃ街の真ん中辺りにある○○(←名前忘れました)で一緒に晩ご飯を食べました。○○は4階建ての日本にもあるようなきれいなショッピング・センタ−でした。
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| 洋服、アクセサリ−・・・おしゃれな店が並んでいて、シェムリアップもここまで来たかと感動しました。 一階は食料品のス−パ−で、各国の製品も並び、日本コ−ナ−もあり、日本の食べ物なら何でも手に入る状態になっていました。(買い物前には左手前のカウンタ−に荷物を預けます。東南アジア・スタイル?)。 このショピング・センタ−はカンボジア人にはお値段が高く「外国人用のお店」との事でした。 |

約束のお店は2階の、子供が好きそうなハンバ−ガ−店 みんな待っていました。

クゥ−にマ−リッ

オラシイとバンサッ

美味しjかったので写真を撮るのを忘れました。
フライド・チキン、ソ−セ−ジ、ピザ、ポテト、ハンバ−ガ−をたらふく食べました。
お味は日本と一緒。「子供はみんな好きだから、今日で3度目くらいかな?」だそうでした。

美味しかったね〜 お母さんのバイクを待っているところです

あんたは前に乗って。はい、二人も乗って。マ−リッも一番後に乗って。

おやすみなさぁ〜い 颯爽と帰って行きました。
| 田中さんは我が家の上の娘と下の息子の間の年齢です。大けがをしたり、病気になったり・・・北海道のご家族はさぞ心配していることでしょう。親心として 「充分頑張ったから、もう日本に帰ってきたら」 が、それを言うと怒られます。 『メジャ−リ−グでも三割を打てると一流だよ あまり頑張りすぎないようにネ』 『でも、私はやっぱり10割を目指すんです〜』 『(-_-)゜zzz・・・』 『\(^o^)/』 |


日本に帰ってしばらくすると我が家にもお礼状が届きました。みんな字が上手いなぁ
アナコット ブログより
| 2011年1月 タエレアン。 我が家に来てちょうど1年が経った。 今日,初めて母親がやってきた。 1年前・・・・・・・・・ 音楽隊のドラマー,ひょうきんで優しく,人気者の6年生。 いつも元気いっぱい,やんちゃ坊主。 だから,そんな彼がある日突然, 「ネアックルーの家においてください。」 と,真顔で手を合わせたときには驚いた。 理由を尋ねても,話の内容がちぐはぐ。 そして,「お願いします!」 と目に涙を浮かべて訴える。 とにかく家に帰りたくない事情があるようだ。 母親に電話をし,とりあえず1泊していくことに。 夜,タエレアンと2人でじっくり話をした。 話はそこからさらに1年前に遡る。 市場で小さな雑貨屋を営んでいた両親。 家族5人でプノンペンへ仕入れに出かけた帰り道。 眠っていたタエレアンには何が起こったのかワケがわからなかった。 気付くと,運転席が潰れていた。 悪夢をみているようで呆然とした。 必死で自分の頭から流れてくる血を拭い。 よく見てみると… 父親は無残な姿になっていたという。 母親と兄弟は無事だった。 しかし…。 兄と弟3人兄弟,仲のよい両親とのしあわせだった家族。 一瞬の事故によって全てが壊れた。 その後,母親はタエレアンにつらく当たるようになった。 「なぜ,あとのき,気が付いたらすぐに助けを呼ばなかったのか。 父親が死んだのはタエレアンのせいだ。」 精神状態が不安定になったのか。 毎日のようにそう言ってタエレアンを責めた。 一種の虐待が始まった。 他の兄弟2人とは別扱い。 制服も,タエレアンだけ破れたボロボロのが一枚。 教育費もタエレアンにだけ一切使わなかった。 他の2人は塾も行き,文房具も揃っているのに。 母親の機嫌が悪いときには一緒に食事もとらせてもらえなった。 「あんたを見たら吐き気がする」 母親の口癖になっていた。 それが1年続いた。 学校だけが,音楽隊の授業を受けているときだけが唯一幸せなときだった。と。 もう家には帰りたくない…。 泣きじゃくるタエレアン。 後日,母親と話をし,12年生(高校3年)を終えるまで預かることになった。 「旦那が死んでからは家計が苦しいからね。 ネアックルーがほしいなら,この子をあげてもいいんだけど。」 最後に上目使いでそう言った。 それから今日まで。 家族として暮らしてきた。 学校での出来事,友達の話,サッカーの話。 毎日,生き生きと輝く瞳で一日の報告をする。 食卓にはいつも笑いが絶えなかった。 本当に優しく,誰よりも敏感に人の心を汲み取ることができる子。 「ネアックルーもちゃんとしっかりご飯を食べなさい」 「遅くまで仕事しないで,たまにはちゃんと寝ないとダメだよ」 等々。 一番口うるさく私に説教するのもタエレアン。 「ぼくの将来の夢は,ネアックルーちぃと一緒にNGOを作ることです。 ネアックルーの仕事のお手伝いがしたいです。 いろんな問題を抱えているカンボジアの子どもの手助けがしたいです。 だからそのために,中学・高校に行って一生懸命勉強します。」 提出した課題のノート。 小学校卒業の際,担任の先生が見せてくれた。 ・・・・・・・・・・・・ そして,今日。 母親がやって来た。 「タエレアンを返してほしい」 と。 働き手が足りない。 もう中学生なんだから仕事も充分できる。 女手一つじゃとても大変。 一人で働くのがどれだけ苦しいか分かるか。 もし自分をかわいそうだと思うなら帰ってきて仕事を手伝って… そう言ってタエレアンに泣きついた。 「あげる」 とか 「返せ」 とか。 子どもはモノじゃない! そう叫びそうになったが。 タエレアンの前,こみ上げてくる怒りを抑えるのに必死だった。 昨年の6月,ソッパルが連れ戻されたときのことを思い出し。 胸の苦しさがよみがえる。 ソッパルの将来の夢は 『お医者さん』 だった。 7年生(中学1年)さえも終えることができず学校中退。 父親とともにの土方の仕事をすることになった。 13才の夢は,はかなく消えた。 タエレアンの話はとりあえず保留になったが。 今回もきっと守れない。 せめて,中学卒業まででも預からせてくれないか…。 母親と長い時間話をした。 だが,ゆずる気は全然ないようだ。 NGOでもNPOでもない私。 子どもたちとの暮らしも,問題を抱えている子どもを一時的に保護することも, 個人で勝手にやっていること。 法的に,子どもたちを守る力をまったく持たない。 もし生みの親がいて,「子どもを返せ」と言われたら… どうにもできない。 「自分の好きなように生きなさい」 「自分のやりたいようにやりなさい」 そう育ててもらった自分の子ども時代と。 子どもが親のために生きるのが当然とされるカンボジアと。 タエレアンは帰りたくないと言う。 ずっとここにいたい。 ずっとネアックルーといたい。 今はここがぼくの家族だから。 まっすぐに私の目を見て。 唇をかみ締めならがら。 振り絞るようにしてそう言った。 でも,泣き崩れる母親を見て… 優しいタエレアン,もし帰らなかったら,一生自分を責めるのではないか。 これは,本当の母と暮らすチャンスなのではないか。 夢をもって なりたい自分に向かって 生き生きと輝いていてほしい。。。 ただそれだけの願いなのに。 心臓のところが痛くて痛くてたまらない。 家族すら。 たった4人の家族すら守れない。 2011年2月 タエレアンの荷造りが終わった。 |