262 特別片:津和野町鷲原八幡宮の流鏑馬(やぶさめ)

疾走する馬上から的を目がけて弓矢を放つ流鏑馬はもともとは武術。鎌倉時代に、豊作や平安を祈る神事、また、武芸のパフォーマンスとして確立されました。以来、各地で神事や催事として、現代まで伝わってきました。最近の、その土地には何の縁もゆかりもない、結局は金儲けの片棒をかついでいるような、似たりよったりの○○祭りや△△フェステイバルなど偽物とは違う、本物の行事です。

津和野町の郊外にある鷲原八幡宮には古式に従った馬場があり、毎年4月の第二日曜日に流鏑馬が奉納されます。

 

鷲原八幡宮の流鏑馬は明治以降は途絶えていましたが、昭和30年頃に復活し、昭和51年からは、宗家30代小笠原清信氏をはじめとする、小笠原流の人々の協力で毎年春祭りの行事として行われています。この日も東京からの、31代小笠原清忠氏が率いる小笠原流と地元の射手によって流鏑馬が奉納されました。

流鏑馬には射手だけでなく、日記奉行や的奉行などたくさんの役柄あります。まず、本殿にみなで無事を祈願します。本殿は室町の頃の様式で、茅葺き。その前に古式の装束の一同が並んだ情景はそれだけで、伝統の美の絵巻です。

 

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祈願が終わると、馬場元から場場末に向かって行進します。奥の柵(ロープですが)を男埒(おらち)、手前を女埒(めらち)と呼びます。男埒と女埒の間を さぐり と言い、ここを馬が走ります。馬上の人は重装備の鎌倉時代の衣装、歩行の人はやや簡略な狩装束です。

流鏑馬が東京や京都であれば、押すな押すなの見物人の山でしょうね。田舎に住んでいてよかった。この日は見物は3百人くらい、こんな有り難いものを間近で、ゆっくりと眺めることができました。

 

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小笠原流に従った正式な装束で、相当重くて、身動きも容易でないそうです。
鎧下垂(よろいしたたれ)、重藤の弓を背負い、えびらには鏑矢(かぶらや)を入れ、頭には あやい笠、足には鹿皮の行縢(むかばき)をつけています。


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馬場(さぐり)の長さは約200m。馬場末から馬場元へ向かって全速で駆け抜けながら、3つの的を射ます。間近で見ると、騎手の顔が紅潮しているのが分かります。的に当たると、どよめきがおこります。走り終わると、見物人も緊張がとけ、拍手と感嘆の声が自然とわき上がります。
流鏑馬はほんの一瞬のできごとですが、力、技、スピードに満ちています。


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午前中の部では激しい落馬もあったそうですが、午後は11騎走って、4騎が3つの的ともに命中させました。なかでも、次代を担う宗家小笠原清忠氏のご子息は、一段と流麗華美で力強く、2度とも全的で、印象的でした。

 

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彼の矢が三の的に的中した瞬間です。

2627.jpg (11877 バイト) 命中した的は『当たりまと』で縁起物とされされています。大体がケチで小心者の私ですが、あまりの感動につい買ってしまいました。保存会の人がサラサラと筆を走らせて書いてくれました。家で大切に飾っています

 


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流鏑馬はそれでも全国のあちこちで催されています。しかし、鷲原八幡宮のように古い馬場での、正式に従った神事としては少ないようです。
磨き上げた伝統の技と様式美に満ちた津和野町鷲原八幡宮の流鏑馬です。