749 蕪村と野バラ:

 『月は東に 蕪村の夢 漱石の幻』 を読んで

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子供の頃からの活字中毒で、今も何か読まないと眠れません。福岡のBOOK OFF で100円で買った、森本哲郎の文庫本『月は東に』を読みました。森本哲郎は『コ−ヒ−のある風景』いらい久しぶりに読みました。*読むとコ−ヒ−がすぐ飲みたくなる、そして、美味しく飲める、名著、絶対のおすすめです。

この『月は東に』は、
江戸中期の画家で俳人の与謝野蕪村と明治の文豪、夏目漱石を同じ生き方を目指した人として、二人の生涯を二人の俳句を比較しながら論じています。
漱石は小説だけでなく、正岡子規の影響を受けて、たくさんの俳句を作っています。その正岡子規は蕪村を高く評価して、俳句を復興させた、近代俳句の創始者です。実は正岡子規と夏目漱石は東大で同級生、また、終生の友人でした。そして、子規は私の高校(松山東高校、旧制松山中学)の先輩で、漱石はその松山中学の英語の先生でした。というわけで、ささっそく読んでみました。


(2)

オランダのホイジンガは『中世の秋』のなかで:より美しい世界を求める願いは「いつの時代にも、遠い目標をめざして三つの道をみいだしてきた」と人間の3つの生き方を述べています。

第一の道は
「世界の外に通じる俗世放棄の道」俗世間を捨てて彼岸にその道を求める宗教的、哲学的、神を求める道です。
そして第二の道は
世界そのものの改良と完成を目指す現実的な生き方。
第三の道は
第一の道のように現世を否定して彼岸に至る道でもなく、第二の道のように理想郷を実現させようという道でもなく、その間にある「せめては、見かけの美しさで生活をいろどろう、明るい空想の夢の国に遊ぼう、理想の魅力によって現実を中和しよう」


とする生き方と述べています

そして、この第三の道は、果たして現実逃避だろうか、空想の世界に生きることだろうかと問いかけ、次のように述べています。
「生活そのものを、美をもって高め、社会そのものを遊びとかたちで満たそうとするものである」。
彼は中世末期の人々の生き方が第三の道を歩んだ故、心豊かな時代であったとしています。

(3)

森本哲郎はこの考えを彼の言葉で次のように語っています。

ゆたかさとはなんだろう。一言でいうなら美しい世界のことだ。何を美しいと感じるかは、むろん、人によって違うだろう。けれど、美しい自然、美しい街並み、美しい調度、---誰もがそうした暮らしのなかでの毎日を願っているはずだ。しかし、美しさは、こんな外的な世界だけにあるのではない。そのような環境を願う心のなかにこそ、豊かさの根源が秘められているといっていい。美しさをひたすら求める心、美しさを充分にあじわうことができる感性、美しさを夢見る創造力、これこそが真の文化をつくりだすのだ。


(4)

そして、森本哲郎は「蕪村はこの第三の道を歩んだ人」と高く評価しています。そして、漱石は蕪村を手本とし同じ道を目指したが、それが幻のままに終わった人としています。
俳句といえば芭蕉ですが、芭蕉に限らず、日本の古い時代の歌人は宗教的な人=僧侶が異常に多いですね。芭蕉があこがれていた西行も。また、芭蕉は わび さび 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」と宗教的、哲学的です。
詩歌に限らず、日本人は常に求道者を高く評価し、それを目指しているような気がします。喫茶でなく茶道、華道、香道、弓道、柔道、野球道、写真道。みんな、遊びでなく、苦しくする道ですね。日本人には真の「心のゆとり、遊び心」が不足しているのではないでしょうか。

芭蕉は俳諧という道一筋を歩みながら、その道は「第一の道」へ通じていた。だが、蕪村は幾筋もの道を逍遙しながら、あくまで「第三の道」へ向かっていた。そして、その道の行く手には、むせ返るような茨が咲いているのである。

           路たえて 香にせまり咲く いばらかな    蕪村


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ふ〜疲れた〜。ここまでたどり着いた人もお疲れさまです。あと少しです。

蕪村が詠んだ『いばら』はどんなバラだったのでしょうか。
ごく普通に見る野バラ(ノイバラ)だったのでしょうか。

蕪村は兵庫の与謝あたりで生まれ、大阪、京都、江戸に住み、そして、芭蕉に負けず各地を旅しています。たくさんの自然を知っていた蕪村が「香にせまり咲く いばらかな」というなら、このヤマイバラだったかもしれません。
ヤマイバラは野バラの中でも最も花が大きく、5cmくらいはあります。庭にそのまま植えても立派なバラとして通用する見事な花です。そして、せまりくるような強くて甘い香りがします。

               路たえて 香にせまり咲く いばらかな

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