798 タチツボスミレ

 

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海辺から山間まで、どこにもあるタチツボスミレ。コスミレに 日本スミレ=Viola japonica、という名を譲ってはいますが、日本で一番普通のスミレとされています。

家から徒歩30mの土師八幡宮のコナラ林にはシハイスミレも咲いていました。春はスミレの季節です。


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以下、気力体力充実の人のみ閲覧可。疲れますから。

『日本のスミレ』という写真図鑑を持っています。パッと見るとよく分かる、しかし、読めば読むほど???となってしまう不思議な図鑑です。
本を読む能力不足度80%、内容欠陥度(というよりスミレの分類自体の疑問度)20%のせいにしています。

毎年今頃になると植物の分類の方法に不信感が湧いてきます。春はそんな季節なんです。(-_-)゜zzz・・・
「毛がある−毛が無い」、「葉が細い−太い」、「花が白い−青い」、などで植物名が違っている事がよくあります。なんで?そんな些細な違いで別の名前をつけるの?

人間は、白人も黒人も。毛深い人も、背が高くても低くても、みんなヒト=ホモ・サピエンス、です。
動物の分類では、交配して子孫が残せれば同じ種、という、明確な基準があり、だから、人間みなホモ・サピエンスです。

それに、比べて植物の分類は、「毛がある−ない」は 本質的な事?なの という議論を抜きに、とにかく外観がちょっとでも違えば種とする場合が多々です。

動物の分類も非常に些細な事を厳密に吟味しています。例えば日本全土にいるメダカ。
遺伝子を調べると、福井県と兵庫県の間に境目があって、北日本型と南日本型に分けられます。さらに、南日本型は地域によって遺伝子に差があり、結局日本のメダカは、遺伝子が違う20くらいのグル−プに分けられています。でも、みんな互いに交配可能だから別々の名前はつけません。メダカです。メダカは地域によって個性がある、多様だということです。



どうして植物の分類はそうなの?

●『種は絶えず生まれ、変化(進化)しつづけるもの。しかも、厳密に調べれば調べるほど、種の境界はあいまいになる。
種は絶対的なものではありません。種の区分は、人が便宜的につけているもの』という基本原理を認識していません。

●あいまいながらも、どこかに線をひかねばなりません。これからが運命の分かれ目です。

Aチ−ム:できるだけ共通点をみつけて、大きな箱に入れる。
Bチ−ム:小さな違いを見逃さず、小さな違いがあったら別種として、別の箱に入れる


小さな違いが本質的なものであればいいのですが、植物分類ではそんな議論が欠落しています。毛があるかないかくらいでも、別種とすることが横行しています(ヒトでは一緒なんです。互いに結婚して子孫が残せるから)。

●分類学は人それぞの趣味に?従って決めていきますが、AとBの考え方には人生観が反映されています。
共通点を重視しよう派 と 違いを重視しよう派 です。
まずいことに、違いを重視派は差別主義へと発展していきます(歴史的事実です)。

例えば、人種がある(白人とアジア人は違う)。あるいは、性による差がある(男女は能力に違いがある)。そして、違い→当然の結果として優劣をつけます。白人が優れている。男はだらしない。と。
生物に優劣はありません。生きていること自体が成功の証です。


●たかが「葉に毛がある=別の種」だけの事。と、思うかも知れませんが。厳密な人、大まかな人、だけで片づけられない本質的な、哲学の違いが反映されているのです。厳密は褒めすぎ、狭量な考えです。そして、分類学が分かっていません。私は、人間、顔かたちや暮らしの仕方が違うのは当然、でもみんな一緒派です。

●もともと曖昧な種の違いをことさら取り上げて細分化しようというのは無駄というものです。
その点
日本植物分類学の元祖、牧野富太郎は 「この種は、地方によって、個体によって、色や形に違いがある」「あとは変異と呼んでも、亜種と呼んでもいいよ」の共通点重視派。そこが好きな牧野富太郎です。名前をいっぱい覚えなくて助かりますし。

『日本のスミレ』と同じシリ−ズの『高山に咲く花』も持っています。こちらは、厳密な上に明快。読後感もさわやかな名著です。この本さえ持っていけば分かる高山の花 のはず!です。が、やっぱりこけるかもしれません。いくら本が良くても、生物の名前調べは難しいから (-_-)゜zzz・・・